【 川・湖・池】
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黄色い巨鳥で狭山池の鳥たちがかわっていく?
築造1400年を迎えた狭山池。
巨大な黄色い鳥が現れました。
今から1400年前。奈良時代。
流域に洪水をもたらす大蛇を封じるため、狭山の地に修験者が遣わした黄色い大鳥の式神が時を経て現代に蘇った。
のではありません。
オランダ人アーティスト、フロレンティン・ホフマンさんの現代芸術作品「ラバー・ダック」です。

この狭山池のラバー・ダックについて、批判的な意見を目にしました。
そのホームページによると、巨大なラバー・ダックを鳥が怖がるというのです。
言うなれば、狭山池の鳥環境破壊でしょうか。
確かにラバー・ダックの周りには鳥はいませんでした。
でも、なんかすっきりしないのでちょっと考えてみました。
冬の狭山池は多くの水鳥がやってきます。
でも、4月初旬のこの日はラバー・ダックのまわりどころか、池中に冬の水鳥はいませんでした。
2週間ほど前には、ちょっと離れた錦織公園の池にもすっかり冬の水鳥はいなくなっていましたので、そういう季節なのかもしれません。
それに年中池にいるカワウやアオサギ、それにオオバンなどはたくさんいました。

池のまわりがおよそ3キロ弱の狭山池。
いくらラバー・ダックが大きいからといっても、狭山池全体に影響があるとは思えません。
それに近くにある給水塔がラバー・ダックと同じくらい。
大きさが影響あるようにも思えません。
ただ、風に吹かれてゆっくりと動きますのでそれを怖がるかもしれません。
ちょっと離れたところにある錦織公園の水鳥が多い奥の池と比べると、狭山池の特徴が見えてきます。
どちらも見られる水鳥はだいたい同じ。
ただ、奥の池は小さいので数は全然ちがいますし、種類もすこし少なめ。
そんな小さな池ですが、オシドリが毎年やってきます。
ところが狭山池にはやってこないようです。
すくなくとも、ここ数年見たことはありません。

オシドリは人影を嫌います。
奥の池は谷間をせき止めてつくった入り組んだ形の池のため、人の目が届かないところがいくつもあります。
それに対して狭山池は、周遊路が一周し、多くの場所から池全体を見渡すことができ、鳥が隠れる場所がありません。
鳥がたくさん集まる大きな狭山池ではなく、小さな奥の池をオシドリが選んだのも納得できます。
実は錦織公園の奥の池も一部に遊歩道があり、それがオシドリがよくいるところのすぐ近くを通っていたりします。
ところが、遊歩道と池の間を木々が遮り、オシドリからも人間からもお互いが見えなくなっているのです。
ということは、狭山池も人の目が届かないところをたくさん作れば、オシドリもやってきても不思議はありません。

それで狭山池のラバー・ダックはどうかというと、単純に鳥のことを考えるとよくないでしょう。
必要のないものをわざわざ池に置いて、そこに人間が集まってくるのですから。
でも、現実的には、池全体が人間の視線にさらされていることを思えば、ラバー・ダックよりもそちらのほうが大きな問題のように思えます。
住宅地のただ中にある狭山池の鳥たちを守っていく上で、大切と思われることのひとつは、できるだけ多くの人に存在を知ってもらうこと。
特に地元地域の人に。
そのためには、多くの人に池に来てもらうことは決して悪いことではないと思います。
ラバー・ダックで地域の人も狭山池に来る機会ができたのであれば、まったく無駄なことではないと思います。
ベストの方法ではないと思いますが。


金剛山のモミジ谷の堰堤ビオトープの更新
10月末に金剛山のモミジ谷に行ってきました。
大阪と奈良の境にある金剛山。
その北側の水越峠(みずこしとうげ)からの道の中からでも好きな道の一つです。

この日はモミジ谷のとなりのサネ尾を登って、モミジ谷を下るコースを選びました。
サネ尾は右がスギやヒノキの針葉樹の植林、左が広葉樹林、道はその狭間の尾根という、おもしろい道です。
途中谷に降りる道がありますが、尾根を登りつめるとダイヤモンドトレールに合流して、鳥居のところに出ます。
そのまま山頂広場へ行き、昼食。
そして下山。

広葉樹と針葉樹の間を歩くサネ尾
モミジ谷の上流は道も無くなり沢の中を歩くことになるのですが、何度もきているので大丈夫大丈夫と思って上流部へ下ってみると。
なんか様子が変です。
V字の狭い谷の沢には角張った花崗岩(かこうがん)の岩が転がっていたはずなのですが、花崗岩の岩盤がむき出しになっています。
足を滑らさないように気をつけながら水が流れる岩盤の上を歩いて行くと、「道」がなくなっています。
モミジ谷の上流は岩盤が飛び出し小さな滝がいくつもあるのですが、そこに流木と岩が絡んで谷を塞いでいます。
水は流木の隙間を流れているのでダムにはなっていませんが、道は完全に断ち切られています。
台風18号の影響です。

流木で塞がれてしまったモミジ谷支流の小さな滝
流木に力を加えてきっちりと固定されていることを確認して、素早く降りていきます。
それを何度か繰り返し、冬に凍る第六堰堤(だいろくえんてい)があるモミジ谷本流との分岐に到着。
遠くから見るだけでも、まるで別のところに来たかのように風景が変わっているのがわかります。
ここは谷が広くなっているところで、岩の間から草や小さな木が生えていたり、ところどころに苔が生えていたりとモミジ谷らしいところでした。
それがまるで標高が高い山のように、白い花崗岩の岩が川原を埋め尽くしていました。

花崗岩の河原に変わってしまった支流から見たモミジ谷本流との分岐点

木々に覆われていた下流から見たモミジ谷本流支流の分岐点(2012年)
上の写真は左側の支流から見たものです。
ここからガンドガコバ林道に合流するまで5つの堰堤があります。
堰堤は大雨などで土石流がおきたときにその被害を減らすため、土石や流木を塞き止めて量を減らすことが目的。
そのため堰堤の上は土砂がたまってちょっとした広場のようになっています。
そこには様々な木や草が生え、時にはコケに覆われ、モミジ谷独特の風景を作り出していました。
しかしどの堰堤の上も草はもちろん多くの木が流され、代わりに白い花崗岩と倒木が絡み合ったまま横たわるだけ。
どこにも今までのモミジ谷の風景は残っていません。

石だらけになってしまった第4堰堤の上

もとはこんなに草と木に覆われていた第4堰堤の上(2012年)
上は上流から下流に向かって下は下流から上流に向かって
金剛山のモミジ谷は六甲山のトエンティクロスよりも多くの沢渡を繰り返すのですが、所々で道が崩れ、川の流れも変わって、沢を渡るどころか沢の中を歩かなければならないところも出てきます。
台風18号は近畿のあちこちで大きな水による被害を出しましたが、その爪あとは金剛山にもくっきりと残っていました。
堰堤は人間が作ったもの。
堰堤によってつくりだされたモミジ谷の風景は、人間と川の流れによって作られたもの。
しかも氾濫する川の上に作られた儚(はかな)い自然。
しかしそういう場所にも、そういう場所だからこそ育つ植物があります。
モミジ谷の堰堤の風景は一度リセットされてしまいましたが、次はどのような形で自然が育っていくのかを楽しみにしていこうと思います。

タグ: モミジ谷(金剛山) 金剛山 川のビオトープ ビオトープ 台風 台風18号(2013) モミジ谷遷移

九頭竜川と氾濫といきもの
福井駅から恐竜博物館がある勝山まで向かうえちぜん鉄道の勝山永平寺(かつやまえいへいじ)線。
そのほとんどは九頭竜川(くずりゅうがわ)と並んでいます。
福井県北部を流れる九頭竜川。
「九頭の竜の川」とも「九つの頭の竜の川」とも読める名前の川です。
えちぜん鉄道の車内アナウンスでは、よく氾濫(はんらん)するので「崩れ川」が由来となった、とか。
歴史を見ても、この九頭竜川を治水するということは、とても重要なことだったようです。
実際、勝山に向かう途中でも、広い河原が広がるところがあります。
角のとれた大きな石が転がるところと畑にも田んぼに使われていない木に覆われたところがあり、堤防の内側で時折川が氾濫することを思わせます。

えちぜん鉄道福井駅のベンチの恐竜?
「九頭竜」という字を見ると一つ少ない「八岐(やまた)の大蛇(おろち)」を連想してしまいます。
これも島根県の斐伊川(ひいがわ)の氾濫を表しているという説もあります。
また「くずりゅう」から「クトゥルー」を連想したときは、関係ないはずです。
多分。
今でこそ洪水になることが特別の事のように思われていますが、昔は川は洪水を起こすものでした。
都市を作るためには平らで広い土地(平野)が必要です。
平野にはかならずある川。
いや、川があるからこそ平野ができるともいえます。
そして川が平野を作るために必要なのが氾濫。
昔から都市を維持することは洪水との戦い。
都市を作るためには川の氾濫を止める治水の技術が必要でした。

えちぜん鉄道の列車から見た九頭竜川その1
治水が進んだ今でも川が氾濫し、時には人命を失うほどの大きな被害をもたらすことがあります。
川の氾濫を異常気象のせいにするのも間違いではないと思いますが、そもそも川は氾濫するものだ、という意識は持ち続けるほうがいいように思います。
そして気象の変化のサイクルは、時には人間の一生を大きく超えます。
お年寄りが「生まれて初めて」の災害でも、その土地では当たり前のことかもしれません。

えちぜん鉄道の列車から見た九頭竜川その2
右端で銀色に光っているのが恐竜博物館?
地球にとってはよくあることでも生き物にとってはめったにないこと。
氾濫で根こそぎ持っていかれたとしても時間がたてばこのように生き物が復活するのかもしれません。
とはいえそのような場所に生える植物は水辺が好きな植物。
木も水辺が好きなハンノキやヤナギの仲間。
草も栄養が乏しいところでも平気なものばかり。
山に生える植物とは少しちがいます。
いくら植物が育ったといっても、時おり起こる氾濫で大きな森になることは無いでしょう。
しかし、長い時間が流れ、地形が変わって、川の氾濫が起きなくなると、どんどん植物が入れ替わっていき、最後は大きな森になるかもしれません。


世界的な古代湖の琵琶湖と断層と山
比良山地は比良断層と
琵琶湖博物館がある東岸は平野が広がり田んぼが広がっていますが、西岸の比良山地は琵琶湖から一気に立ち上がっています。

※画像スライドできます ⇒⇒
琵琶湖西岸には比良山地の他にも山が連なっていますが、山々と琵琶湖の境には断層も連続。
それらの断層を合わせて「琵琶湖西岸断層帯」と呼ばれています。
今よりも南東の三重県北西部にあった琵琶湖がだんだん北西によってきて、琵琶湖西岸断層帯で盛り上がった山々に止められたような形になりました。
そのため、琵琶湖の水深も西側の方が深くなっています。
早ければ数千年、もって10万年といわれる湖の寿命ですが、それが数百万年も続いているのが琵琶湖。
今の場所に落ち着いてからでも40万年以上過ぎています。
確認されている固有種だけで60種以上。
琵琶湖は日本だけでなく、世界でも貴重な湖です。
滋賀県立琵琶湖博物館では、琵琶湖の地理や生き物だけでなく人々の暮らしまで、自然科学から人文科学まで幅広く展示されています。
タグ: 琵琶湖 淀川水系 琵琶湖博物館 比良山地 琵琶湖西岸断層 古代湖 断層 ビオトープ

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