【 自然】

[カテゴリ リスト] 【表示記事リスト】
ビオトープ
┃《ビオトープとは
山・森・里山
川・湖・池
海岸・干潟・海
公園・緑地・田畑
都市
野鳥・鳥
モズ
哺乳類
爬虫類・両生類
恐竜と化石爬虫類

節足動物
甲虫
昆虫(甲虫以外)
甲殻類
虫(節足動物以外)
その他の海の動物
草花
野菜・食用作物
お茶
樹木
花木
紅葉・黄葉・褐葉
果物・実
コケ・シダ
その他植物について
微生物・菌類・細菌 等
地衣類
博物館・植物園・催事 等
季節
本・DVD・物語・伝承
架空・神話・創作
語彙集
フィールドワーク
リンク
ブログのご利用について


〔よりぬきタグ〕 ◊巨古老樹◊金剛◊恐竜◊高野◊棚田◊錦織

水清ければ魚棲まず まさにそのとおり

水清ければ魚棲まず

【読み】みずきよければうおすまず
【意味】あまりに清廉すぎる人は、かえって人に親しまれず孤立してしまうこと。
 きれいすぎる水には生き物が少なく魚も住まないことからのたとえ。

二上山雌岳山頂から見た金剛山地

緑に覆われていますがほとんどがスギやヒノキの植林

 いつもそうだなぁ、と思う故事成語です。
 ただし、本来の意味ではなく、由来となったほうの意味で。

 意外に思うかもしれませんが、きれいに澄んだ水には生き物が少ないのです。
 水が澄んできれいということは、プランクトンなど小さな生き物の食べ物がないということ。
 ということは、小さい生き物たちはいないということ。
 ということは、それを食べる中くらいの生き物がいないということ。
 中くらいの生き物がいないということは、それを食べる大きな生き物がいないということ。
 ですから、きれいすぎる水には魚は住まないのです。

高野山のアマゴ

水が澄んでいてもこんな大きな魚がいます

 もちろん、山の清流には大きなアマゴなどが住むことがあります。
 しかし、こういった魚は水の中の生き物食べるのではなく、水に落ちた昆虫などを食べているのです。
 他にも、カワセミやホタルなど「清流の生き物」と思われている生き物も、住んでいるところは意外と「清流」ではありません。

1600年前に人間がつくった狭山池

冬には水鳥がたくさん来ます

 街はもちろん、人間がつくった庭、農地、公園など、植物がたくさんあっても整った「きれい」な場所を見ると、いつもこの故事成語を思い出します。

››この記事のはじめに戻る‹‹

タグ: 故事成語ことわざ自然環境人工人間

関連記事
スポンサーサイト



theme : 博物学・自然・生き物
genre : 学問・文化・芸術

黄色い巨鳥で狭山池の鳥たちがかわっていく?

 築造1400年を迎えた狭山池。
 巨大な黄色い鳥が現れました。

 今から1400年前。奈良時代。
 流域に洪水をもたらす大蛇を封じるため、狭山の地に修験者が遣わした黄色い大鳥の式神が時を経て現代に蘇った。
 のではありません。
 オランダ人アーティスト、フロレンティン・ホフマンさんの現代芸術作品「ラバー・ダック」です。

「ラバー・ダック」
ラバー・ダック

 この狭山池のラバー・ダックについて、批判的な意見を目にしました。
 そのホームページによると、巨大なラバー・ダックを鳥が怖がるというのです。
 言うなれば、狭山池の鳥環境破壊でしょうか。
 確かにラバー・ダックの周りには鳥はいませんでした。
 でも、なんかすっきりしないのでちょっと考えてみました。

 冬の狭山池は多くの水鳥がやってきます。
 でも、4月初旬のこの日はラバー・ダックのまわりどころか、池中に冬の水鳥はいませんでした。
 2週間ほど前には、ちょっと離れた錦織公園の池にもすっかり冬の水鳥はいなくなっていましたので、そういう季節なのかもしれません。
 それに年中池にいるカワウやアオサギ、それにオオバンなどはたくさんいました。

カワウにアオサギにコサギにゴイサギにホシゴイ(ササゴイ幼鳥)
水鳥

 池のまわりがおよそ3キロ弱の狭山池。
 いくらラバー・ダックが大きいからといっても、狭山池全体に影響があるとは思えません。
 それに近くにある給水塔がラバー・ダックと同じくらい。
 大きさが影響あるようにも思えません。
 ただ、風に吹かれてゆっくりと動きますのでそれを怖がるかもしれません。

 ちょっと離れたところにある錦織公園の水鳥が多い奥の池と比べると、狭山池の特徴が見えてきます。
 どちらも見られる水鳥はだいたい同じ。
 ただ、奥の池は小さいので数は全然ちがいますし、種類もすこし少なめ。
 そんな小さな池ですが、オシドリが毎年やってきます。
 ところが狭山池にはやってこないようです。
 すくなくとも、ここ数年見たことはありません。

錦織公園の奥の池のオシドリ
オシドリ

 オシドリは人影を嫌います。
 奥の池は谷間をせき止めてつくった入り組んだ形の池のため、人の目が届かないところがいくつもあります。
 それに対して狭山池は、周遊路が一周し、多くの場所から池全体を見渡すことができ、鳥が隠れる場所がありません。
 鳥がたくさん集まる大きな狭山池ではなく、小さな奥の池をオシドリが選んだのも納得できます。

 実は錦織公園の奥の池も一部に遊歩道があり、それがオシドリがよくいるところのすぐ近くを通っていたりします。
 ところが、遊歩道と池の間を木々が遮り、オシドリからも人間からもお互いが見えなくなっているのです。
 ということは、狭山池も人の目が届かないところをたくさん作れば、オシドリもやってきても不思議はありません。

大きなラバー・ダックも遠くから見ればこんな感じ
狭山池

 それで狭山池のラバー・ダックはどうかというと、単純に鳥のことを考えるとよくないでしょう。
 必要のないものをわざわざ池に置いて、そこに人間が集まってくるのですから。
 でも、現実的には、池全体が人間の視線にさらされていることを思えば、ラバー・ダックよりもそちらのほうが大きな問題のように思えます。

 住宅地のただ中にある狭山池の鳥たちを守っていく上で、大切と思われることのひとつは、できるだけ多くの人に存在を知ってもらうこと。
 特に地元地域の人に。
 そのためには、多くの人に池に来てもらうことは決して悪いことではないと思います。
 ラバー・ダックで地域の人も狭山池に来る機会ができたのであれば、まったく無駄なことではないと思います。
 ベストの方法ではないと思いますが。

ラバー・ダックの画像は別館にもあります。
【いきもの を ぱちり! 狭山池にラバーダックがやってきた!】

■参考外部リンク■
現代アート・『ラバー・ダック』が狭山池にやってきた/大阪狭山市ホームページ

››この記事のはじめに戻る‹‹

タグ: ラバー・ダック狭山池環境自然野鳥

関連記事

theme : 散策・自然観察
genre : 趣味・実用

第45回特別展「ネコと見つける都市の自然」―大阪は緑が少ないかもしれないけれど、実は増えている!?―大阪市立自然史博物館


 今回の特別展の大テーマは「都市の自然」。

 日本語としては全然問題ないですが、具体的なイメージはちょっと持ちにくいかもしれません。

 でも、展示がそうなのです。

 大阪という都市の自然を様々な切り口で扱っています。

 いろいろな小さなテーマがあり、全体を一言で表すと、やっぱり「都市の自然」。



特別展おなじみの幟
特別展おなじみの幟




 ということで、今回は中でも大テーマそのもののような? 大阪の自然を。

 このブログでも取り上げましたが、「大阪はどうして緑が少ないのか」。

 「緑」というのも曖昧な表現ですが、「樹木」や「樹林」と考えました。

 緑が多いと言われる東京とくらべてみれば、わかりやすくなります。

 大阪と東京では基本的に地理的な状況がちがっています。




 東京はいわゆる「下町」を除いた多くが丘陵地帯にあります。

 もともと原野だったところで谷や崖、つまり斜面が多く、開発から取り残されたところ、緑が残ったところが多いのです。

 徳川家康が幕府を開く地に選んだのも、起伏が多く都市に向かないところが防衛に適していると考えたのかもしれません。



最近大阪市では見かけなくなったと言われるモズの標本
最近大阪市では見かけなくなったと言われるモズの標本




 そして大阪。

 大阪の市街地がある大阪平野は、何千年も前には海。
 生駒山麓で鯨の骨が見つかっています。

 そして湖になり、湿地になりました。

 そんなところに森は発達しません。

 樹木林はかろうじて上町台地の上にあるだけ。

 現在の市街地がある地面の多くは、江戸時代から続く埋め立てや地盤改良によって作られたものです。



海だった縄文時代のころの大阪のパネル
海だった縄文時代のころの大阪のパネル




 戦前ですら大阪は地下水位が高くて樹木を植えるのに適さないと言われていたそうです。

 現在の繁華街である梅田も「埋め田」が語源、難波と共に湿地で人が住んでいなかったので繁華街を作ることができた、とも言われます。

 そうです。

 元から樹木が多かった東京に対して、元から樹木が少なかったのが大阪。

 もちろんほかにも様々な理由がありますが、東京に緑が多いことに地理的な条件が関係していたのと同じように、大阪に緑が少ないのも地理的な条件が関係していたのです。



 ところが、今の大阪は緑が増えているようなのです。

 会場では、それを繁殖する鳥の種類の変化で示しています。

 鳥は種類によって住む環境が違ってきます。

 つまり、どういった種類の鳥が繁殖するかで、地域の環境が見えてくるのです。



南港野鳥園へ行けばたいてい会えるチョウゲンボウの標本
南港野鳥園へ行けばたいてい会えるチョウゲンボウの標本




 さすがに江戸時代の専門的な情報はありませんが、大正から昭和初期までは鳥類研究家などの情報が残されているので、それで比較できます。

 すると、東京は森林の鳥から山林の鳥に変わりつつも種類が減ってきています。

 大阪は種類が少なかったのが山林の鳥がわずかに増えてきて東京に近くなってきます。



 ということは。

 東京は緑が減っている。

 大阪は緑が増えている。

 かもしれない。



 大阪の歴史的景観や繁殖する鳥の変化などの資料は、ぜひ会場でご覧ください。



 緑が多い少ないという話が、視点を変えると新しい事実が見えてくるのが、「ネコと見つける都市の自然」です。



タグ♦ ネコと見つける都市の自然 大阪市立自然史博物館

■参考外部リンク■
第45回特別展 ネコと見つける 都市の自然 ?家の中から公園さんぽ?|大阪市立自然史博物館
ようこそ大阪市立自然史博物館へ


››この記事のはじめに戻る‹‹

タグ: ネコと見つける都市の自然環境大阪市立自然史博物館45th-toshinshizenビオトープ自然大阪東京都市の自然

関連記事

theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
genre : 学問・文化・芸術

「自然」とは 身近だけど むずかしい言葉 その2「自然」と「環境」


「しぜん」と「じねん」

 「自然」を考えるときに気をつけないといけないのが、【その1「しぜん」と「じねん」】で書いたように「しぜん」と「じねん」のちがいかもしれません。

 言葉の由来を考えると、「しぜん」という時は「“人間が作ったもの”以外のものとその環境」と考えるほうが合うでしょう。

 しかしこのブログでは「しぜん」の意味は人間の作ったものとそうでないものは分けません。

 たとえば里山のように人間の手が加わっていても、直接管理されない様々な生き物がいるような状況も「しぜん」、つまり「自然」としたいと思います。



「自然」と「環境」

 このように「自然」という言葉は、日本人が持つイメージとちょっと離れた意味を持っています。

 最近「環境保護」のように「環境」という言葉も目立つようになってきました。

 「環境」であれば、人間が作ったものであってもその中に含まれます。

 人間が作った田んぼや里山でも、「環境」と言ってしまえば「自然」よりも意味がはっきりします。

 「環境保護」というような言葉が使われるとき、人間が今ある「環境」を守ることを意味しますが、それは必ずしも人間が現れる前からあった「環境」だけではありません。
 人間が作った「環境」も含まれます。



近畿では自生していないシラカンバの人工林[神戸市立森林植物園]
近畿では自生していないシラカンバの人工林[神戸市立森林植物園]




「環境」を守るということ

 たとえば、最近「環境を守る」として注目を集めている場所に、田んぼや里山があります。
 それらはいろいろな生き物たちの生活の場所となっています。

 しかしどちらも人間が作ったもの。

 田んぼや里山を作るために、元からそこにいたのに追い出された生き物もいっぱいいます。
 なかにはその地域で絶滅してしまった生き物もいるかもしれません。

 そういう意味では田んぼや里山は「環境破壊」の結果という性質もあるかもしれません。

 そんな場所でも「環境保護」と言ってしまうと、追い出された多くの生き物たちのことなど忘れてしまったように感じるのは、気のせいでしょうか。

 なんだか「環境」という言葉は人間にとって都合よく使われているような気もします。



もとに戻せる?

 そんな田んぼや里山の多くは、人間の寿命より長い間続いてきたもの。
 しかも多くの場合広い範囲を占めます。

 そんな場所を元に戻せるのでしょうか。

 それはわかりません。

 まわりに人の手が入っていない環境が残っているのなら、そこから生き物たちが移ってくるかもしれません。

 しかしそういう環境がなければ元に戻ることは難しいしょう。

 自然に任せても、田んぼや里山のままにしても、本来の姿でないのは同じこと。

 どっちの状態を守るのがいいのでしょうか?

 それともなにか「第三の状態」というのがあるのでしょうか。



元からの環境が残されていると思われるブナ林[金剛山山頂付近]
元からの環境が残されていると思われるブナ林[金剛山山頂付近]




環境を維持するということ

 同じ種の生き物であっても、住んでいるところで微妙に特徴がちがうことがよくあります。

 そういう地域的な特徴は、失われると元には戻りません。

 時として田んぼや里山にそういった生き物が住んでいることがあります。

 人間が作った環境であっても、そこに固有の特徴を持つ生き物がいるのであれば、守っていかなければならないと、今は多くの場合考えられています。

 しかし一度人間が手を加えた環境を維持するためには、延々と手を加え続けていかなければなりません。

 めずらしい生き物を守るためとして、自然の移り変わりを人間の力で壊していくことはいいことなのでしょうか。



冴えたやり方は?

 そもそも「こうあるべきだ」というはっきりとした答えはあるのでしょうか。

 どの状態の「しぜん」を守るのか、それともそのまま変化していく「じねん」に任せるのか。

 それは、「環境」」という言葉にごまかされず、一人一人が一つ一つ未来のために考えていかなければならないことのように思えます。

 おそらく、「いかなる時でもこうすべき」という方法はないのだと思います。

 それぞれの状態状況に合わせて、もっともいいと思える方法を取っていかなければならないのが現実でしょう。

 大切なことは、目立つ部分だけに注目するのではなく、できるだけ広い視野で考えていくこと、なのではないでしょうか。



タグ♦ 自然 神戸市立森林植物園 金剛山 ビオトープ

■参考外部リンク■
神戸市立森林植物園
金剛山登山道情報(金剛山のホームページ)


››この記事のはじめに戻る‹‹

タグ: 自然神戸市立森林植物園金剛山ビオトープ

関連記事

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

「自然」とは 身近だけど むずかしい言葉 その1「しぜん」と「じねん」


「しぜん」

 「自然」。

 大切にしなければならないもの。
 守らなければならないもの。

 地球史上最大の絶滅に匹敵する勢いで生物が絶滅していっていると言われているなかで、頻繁に耳にする言葉の一つでしょう。

 たとえば「自然保護」という言葉のように。

 ところが意外と「自然ってなに?」という具体的なことは意識していなかったりします。

 実際、人によって「自然」の範囲は様々なようです。



「じねん」

 「自然」という言葉は平安時代の「源氏物語」にも使われているほど古くからある言葉です。

 ただし読みは「じねん」となり、「あるがままの様子」という意味になります。
 今でも人に対して「自然な様子」という時の「自然」と同じでしょう。

 また「人の手が加わっていないこと」という今と同じような意味もあります。

 その後、室町時代頃には「しぜん」とも呼ぶようになり、「そのものの本質」という意味も持つようになります。



特別天然記念物の奈良の春日山原始林
特別天然記念物の奈良の春日山原始林
「原始林」といえども歴史の古い都市に隣接しているので人の手が入っています。
ということで世界遺産は「自然遺産」ではなく「文化遺産」。
日本人の感覚ではちょっと違和感を感じるかもしれません。




和製漢語

 「自然保護」などに使われる「しぜん」という言葉は、幕末から明治にかけて欧米から莫大な量の日本に無い考えを「輸入」したときの言葉の一つと言われています。

 今では外来語は音(おん)やスペルをカタカナに直した言葉が使われますが、当時は漢字に置き換えて和製漢語(わせいかんご)としていました。

 中国語の古典にあるよく似た意味の言葉を使ったり、漢語(中国語風日本語)の造語方法で新しく単語を作っていました。

 その数は膨大で、「文化」「社会」「科学」など普通に使われている言葉も多くあります。

 それどころか、中国に「逆輸出」されていたりします。



「nature」

 そのように欧米の考えを日本語に取り入れる中で誕生したのが「自然(しぜん)」。

 英語の「nature」などの訳語といわれています。

 意味は「ありのままの状態」など「じねん」とよく似ていて、「人の手が加わっていない」という意味もあります。
 そして「神」という意味も持つこともあるのが、「じねん」と大きくちがうところ。

 神の意味も持つことで、「じねん」よりも人間と人間以外を強く分けるように感じます。

 簡単に無理やりまとめるとこうなるでしょうか。

 人間と人間以外も一緒にまとめてしまうのが「じねん」。

 人間以外だけをまとめるのが「しぜん」。



人がつくった「自然」の下赤阪の棚田の6月の様子
人がつくった「自然」の下赤阪の棚田の6月の様子
人間が山を切り開いてつくったものが棚田。
人間が手を加えたという意味では「しぜん」ではありませんが、様々な生き物や気候の力を借りてはじめて実りが得られます。




自然と自然(しぜん と じねん)

 「自然」を考えるときに気をつけないといけないのが「しぜん」と「じねん」のちがいかもしれません。

 言葉の由来を考えると、「しぜん(nature)」という時は「人間の手が加わっていないものや環境」と考えるほうが合うでしょう。

 しかし普通、日本人は「人間の手が加わっていない」という部分は強く意識していないように感じます。
 つまり、「じねん」の意味に近いイメージで使っているようです。

 人間が作ったものであっても、たとえば里山のように緑がいっぱいあり生き物の多いところを「しぜん」といってもあまり違和感は感じないでしょう。



日本の棚田百選 [ 青柳健二 ]

価格:1,575円
(2014/2/8 21:16時点)

「じねん」を意識して「しぜん」を考える

 このブログでは「自然」の意味は「人間の手が加わっていないものや環境」という意味で使うことを基本としたいと思います。

 ただこれは、原生林や人跡未踏の地のような人間の手が一度も加わったことがない場所のことだけではありません。

 たとえば耕作放棄地のように人間が管理をやめてしまって変化するままになっているところや、里山のように人間が管理していても直接管理されていない様々な生き物がいるような状況も「自然」です。

 つまり日本的な、人間を特別なものとしない「じねん」の意味も十分意識していきたいとも思います。



忘れてはならない「自然」

 人間も地球に生まれた命の一つ。

 人間も自然の一部として考えたほうが、いや考えるべきだと思うからです。

 田んぼも里山も人間がつくったという意味では人工の環境ですが、人間の力だけで成り立たない、目に見えない小さな生き物から地球全体の水や空気の動きがあってこそ成り立つ場所。
 そして人間の管理を直接受けないさまざまな生き物たちが集まってくる場所です。

 しかしそういった「じねん」の環境は、長い間続いてきた「しぜん」の環境を人間が作り変えたものだということは、忘れてはならないと思います、。



◆タグ 春日山原始林 下赤阪の棚田 ビオトープ ◆

■参考外部リンク■
奈良公園へようこそ - 奈良公園ガイド::春日山原始林(かすがやまげんしりん)
下赤阪の棚田 | 千早赤阪村観光協会


››この記事のはじめに戻る‹‹

タグ: 自然春日原始林下赤阪の棚田ビオトープ

関連記事

theme : 博物学・自然・生き物
genre : 学問・文化・芸術

東京と大阪、どっちが「自然」が多い?


 大阪の人の気質として、どうしても東京にこだわってしまうところがあります。

 東京が日本の首都であり、今では日本の経済の中心地になったので、やっかみみたいなものがあるのでしょうか。

 東京を田舎としてまったく気にしていない京都の人ともちがうところですが、東京を価値観の基準に置く地方の人には理解し難いことのようです。



 誰が起こすのかわかりませんが、ときおり目にするのが東京VS大阪。

 そんな一つに、「東京のほうが大阪より緑が多い」というのがあります。

 この場合の「緑」とは、公園や緑地のように単純に植物が生えている場所のようです。

 残念ながら東京23区と大阪市の「緑」の量を比べるための具体的なデータを見つけることはできませんでしたが、東京には都心に大きな公園がいくつもあり、確かに緑が多いイメージがあります。

 また面積も東京23区のほうが大阪市の3倍くらいあり、都心から離れた「郊外」部分の広さがちがいますので、東京23区のほうが緑が多いのも当たり前のような気がします。



まだ歴史が浅い細い木が多い東京の明治神宮参道
まだ歴史が浅い細い木が多い東京の明治神宮参道




 ただ、この「緑」はちょっとクセモノだったりします。

 多くの場合、都市部の「緑」は公園であったり、残された田畑であったりと人為的に作られた「緑」で、もとからあった「自然」ではないのです。

 そのため、東京は多摩地区という豊かな自然を残す地域があるというのに、意外にも絶滅種が多いのです。



 例えば、カヤネズミは「日本のレッドデータ検索システム」では東京都は「絶滅」になっています。
 東京都の環境局のページでも区部・北多摩では絶滅、南多摩・西多摩でも絶滅危惧II類。

 大阪では「絶滅危惧種」ですらなく「要注目」で、大阪市内でも淀川周辺で確認されているようで、「カヤネズミの巣を探そう!」なんて観察会があちこちで行われていたりします。

 ということは、東京は大阪よりも「緑」は多いですが、「自然」が少ないのかもしれません。

 もちろん、カヤネズミの例だけで決めつけることはできませんが。



30都府県でRDB指定のカヤネズミ(天王寺動物園)
30都府県でRDB指定のカヤネズミ(天王寺動物園)




 例えば東京の中心で圧倒的な「緑」を抱えている明治神宮。

 しかしここは荒れ地に作り上げた人工の森です。
 しかも、政府の政策によって日本中の社寺から「鎮守の森」という自然が奪われていった後に作られた森。

 見た目は立派な森になっていますが、荒れ地に作っただけに長距離を移動できない小さな生き物たちは必ずしも集まってこれたわけでもないようです。

 それに当時の最新の理論で森になるように計算されて作られたのですが、日本中から植物が集められるという現在の生物多様性から考えると最悪の方法で作られたもの。

 「緑」は豊富でも、「自然」については微妙な森。

 それが東京都心の広大な「緑」の一面なのです。



まるで歴史の古い神社のような風格がある明治神宮
まるで歴史の古い神社のような風格がある明治神宮




 それ以外にも感じることがあります。

 東京より大阪のほうが山が近いということ。

 都心で高いところへ上がると、東京でも大阪でも山が見えます。
 東京なら天気が良ければ日本一高い富士山が見えます。

 でも、東京のほうが山が見える方向が少なく、そして遠いのです。

 実際、3方を山に囲まれた大阪では、多くの場所で30分も電車に乗れば山に行くことができますが、広い関東平野にあり3方を海と平野に囲まれた東京の場合はそういうわけにはいきません。

 東京では簡単に日帰りできる身近な「山」というと高尾山(たかおさん)や丹沢(たんざわ)といった西の方の山ですが、大阪なら北西の六甲山、東の生駒山、南東の金剛山などがあります。
 人によって葛城山であり岩湧山であり妙見山かもしれません。

 大阪では住む所によって、身近な山はそれぞれちがってきます。



スカイツリーより低い高尾山の6号路
スカイツリーより低い高尾山の6号路




 最近、大阪でも東京を真似て「緑」を増やそうという声がよく聞かれます。

 しかし東京より「緑」は少なくても「自然」が近い大阪。

 この「自然」を生かさない方法はありません。

 大阪市に緑地を作ることに反対はしませんが、今ある自然、つまり大阪周辺の山々や丘陵地帯へのアクセスを整えたり、山や自然を維持する活動や、理解し守るための教育などを行うことも大切じゃないかな、と思います。



◆タグ ビオトープ ◆

■参考外部リンク■
日本のレッドデータ検索システム
レッドデータブック|東京都環境局 緑の創出と自然環境の保全
大阪府/大阪の野生生物


››この記事のはじめに戻る‹‹

タグ: ビオトープ自然カヤネズミ代々木公園明治神宮高尾山

関連記事

theme : 博物学・自然・生き物
genre : 学問・文化・芸術

二十四節気・七十二候
プロフィール

ノート

Author:ノート
都会の植え込みから自然あふれる山まで。
フィールドワーカーのノートが生き物たちとの出会いを書いています。

検索フォーム
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
bk1
リンク
BLOG & NEWS | 動物プロダクション SCIENCE FACTORY ltd.
けろんの100円で昆虫採集!
相生山からのメッセージ
ななこの『生き物のお世話』ブログ
雑記帳~身の回りの出来事やら自然やら~
とある昆虫研究者のメモ
ACTOW
徳川広和・恐竜・古生物・模型・フィギュア作品ギャラリー
コトラ&ミーのこんにちは ご近所さん
すみれ奏へようこそ
そぞろ歩き
デジカメ・昆虫・写真
くろねこのチラシの裏
どくだみ荘日乗
故郷の廃家
とらログ
ようこそ大阪市立自然史博物館へ
インターネットミュージアム
いきもの を ぱちり!
管理画面
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新トラックバック
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
最近記事のRSS
最新コメントのRSS
最新トラックバックのRSS
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる